我が国の古代史

おはようございます
週末でも朝学習を継続しましょう

教室授業は
土曜日:13:00~17:00
日曜日:8:00~12:00です

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渡部昇一さんの書籍の続きです

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『渡部昇一の少年日本史』より
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日本人から見れば
卑弥呼は「日の御子(みこ)」です。

日本人は昔から天皇のことを
日の御子と呼んでいたのです。

だから卑弥呼とは天皇のこと
なのではないでしょうか。

しかし『魏志倭人伝』の作者は
野蛮人の国の日の御子だから
「卑」という字を使って
卑弥呼としたのでしょう。

しかもそれが女王であったというのは、
日本の神話では天照大神という
女神がいたという話が伝わっていて、
それと重なって女王の卑弥呼になったのだろうと
私は想像しています。

このような想像の産物が
『魏志倭人伝』なのではないかという事は
昔の人も考えたようで、

(え~~、そうだったのか!)

第二次世界大戦の前までの
まともな日本の歴史家は誰も
『魏志倭人伝』を
取り上げていませんでした。

(こんなこと初めて知りました)

 

第二次世界大戦の前までの
まともな日本の歴史家は誰も
『魏志倭人伝』を
取り上げていませんでした。

ところが戦後になると、
特に1970年代あたりは
支那大陸(中国)や朝鮮半島を重んずる
風潮が強くなって、

あたかも
邪馬台国や卑弥呼が
『魏志倭人伝』に記された通りであったように
こじつける仮説がたくさん出てきました。

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日本に残された記録(古事記、日本書紀)と
遠い異国の伝聞の記録

大和の国の記録と
魏の国の記録

どちらの方が信頼性が高いのでしょう?

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